黒木先生を偲ぶ会


 12/1は都城合気道錬成会 都島道場内で黒木先生を偲ぶ会が行われました。

 黒木先生の創られた道場は、打ち込み台のへこんだ部分や切り傷など、稽古の跡が沢山刻み込まれています。

 その道場一面に飾られた黒木先生の書や、当時の黒木先生が映し出された映像の中で、黒木先生からご縁を頂いて集まった皆さんととても幸せな時間を過ごさせていただきました。

 

 私が黒木先生にお会いしたのは、8年前に都島道場を見学させて頂いた時の一度きりです。

 

 その当時、私はまだ祥平塾に所属していましたが、いずれは宮崎に移住した時に、合気道が続けられるように祥平塾とつながりのある道場を一度見学しておきたいと思い、やっと実行に踏み切りました。

 事前に黒木先生と連絡を取らせていただき、割とすんなり道場に行き着くことが出来ました。

 最初に先生は「祥平塾では私も5年稽古をしました。時々祥平塾の演武会にも行って交流がありますよ。」と懐かしそうに話されました。

 足袋をはいた先生と会員の方が運足でゆっくりゆっくり移動するところや、座り技の小手返しで会員の方がきれいに前受身を取っているのを見て「この受身が自分にできるかな~。」と思ったのを覚えています。そして何より驚いたのは、黒木先生が考案された基礎鍛錬の一の突きの形でした。「この形に変えるのは勇気がいりました。」「そんなにたくさんの合気道の形は教えていません。希望者にだけ教えています。」と言われていました。 
 そして、見学の最後に2人きりで黒木先生とお話させていただいた後、先生は私の正面にこられ、私の片手をつかまれました。先生はこんな時私がどんな反応をするか試されたのだと思いますが、私は先生に片手をつかまれたまま全く何もできませんでした。「何年合気道をやってても、こういう時に動けないと意味がない。もしかしたら一人でこういうところに来て連れ去られることだってあるかもしれないのだから。」と先生は言われました。

  今思えば、それが私が直接黒木先生からご指導いただいた最初で最後の内容となりました。

 

 その後黒木先生が亡くなられたことを知ったのは、5年前の宮崎に移る直前、都城合気道錬成会のインターネットのホームページによってでした。

 実は2回目に都城合気道練成会に見学に行く前に他の団体の道場も見ておきたいと思い、他団体の道場の方と連絡をとったものの、見学に行く途中で道に迷ってしまい、どうしてもその道場にたどり着けなかったのであきらめました。

 

 そして、いよいよ都城合気道錬成会にも見学に行こうとしましたが、こちらも場所が分からずに周辺をぐるぐる探しました。

 あせりながら何人かに道を聞きながら探すけどどうしても道場にたどり着けず、とうとう稽古時間は過ぎてしまいました。

「やばい!ここでも場所が分からなかったら私は合気道が続けられない!」だんだんそんな気持ちになり、途中、何度か道を聞きたいと思いながら通り過ぎていた不動産の事務所の前に意を決して車を停め、(全く面識もないのに)道を聞きに事務所に入っていきました。

 女性の方はご存じない様子でしたが、たまたまその時出てこられた社長さんとおぼしき男性の方が、「黒木さんの道場?」と言われました。「黒木さん?」思わず私のほうが、そう言ってしまいましたがその方は黒木先生をご存知でした。
「黒木さんは亡くなったですよ。もうやってないはずですが。」その方はいわれましたが、私が「ホームページで黒木先生の跡を継いでお弟子さんが道場を運営されているのを知り、その道場を探しています。」とお話ししたところ、その方は「どの道が行きやすいかな・・・。」と考えられた末に、とても分かりやすい地図を書いて下さいました。

 その時に「頑張りなさい。」とかけて下さったお言葉。姿を変えて黒木先生に頂いたお言葉のようでもあり、今も忘れていません。

 その地図を頼りに、辿りついた場所。そこは・・・。

 稽古が終わった後の、あの時のままの黒木先生の道場。

「ああ、確かにここだった。」なんだかすごく懐かしい気持ちになりました。

 ここで合気道を再開したい。

 もう迷いはありませんでした。

 帰り道、私は改めて都城合気道錬成会の事務局のH先生に連絡を取り、そのいきさつなども話して自然に都城合気道錬成会でお世話になるご縁を頂きました。

 

 こうして私は今も合気道を続けられています。私を導いてくださっている皆様、本当にありがとうございます。これからも都城合気道錬成会の一員として合気道を続けさせて頂きたいと思っておりますので今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 

都城合気道錬成会 都島道場小林教室担当 伊達