西都原古墳群

 明けましておめでとうございます。今年も稽古が再会できた折は、何卒よろしくお願いいたします。今年こそ新型コロナウィルスが収まって良い年となりますように。 

 昨年コスモスが咲き乱れる頃、非国民ならぬ非市民!と怒られそうだが、地元の生駒高原はきっとものすごく人が多いだろうと早々に行くのを諦め、西都原古墳群にドライブに行った。複数の駐車場から古墳やコスモスエリアにつながる道が幾通りもあり、どんなに沢山人がいても、どんなに自由に歩き回っても、人と触れ合わない日帰りの旅が実現できる。(多少運転で疲れるが旅というほどの距離でもなかった)

 西都市観光協会発行の冊子によると、およそ1300年前に書かれた「古事記」と「日本書紀」に登場するニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの恋物語が、西都市ではいつのころからか、10のポイントを結んで「記紀の道」として描かれ、伝えられているそうだ。ニニギノミコトは天照大神の孫で、地上の中つ国を治めようと高天原から高千穂の峰に降臨。美しいコノハナサクヤヒメと出会い結婚したのはその後のお話だとのこと。(その後の展開も凄いなと思ったがここでは省略する)

 この西都原古墳群の古墳は、子供も大人も登ったり中に入ったりできるものもあってすごい自由だなあと思ったが、今私の目の前にあるコノハナサクヤヒメの御陵墓と伝わる女狭穂塚(九州最大の前方後円墳)は、ニニギノミコトの御陵墓とされる男狭穂塚(日本最大の帆立貝形古墳)と寄り添い、その周囲は結界のような柵で守られ厳然とした雰囲気を醸し出している。陵墓参考地として宮内庁の管理下にあり、普段は立ち入り禁止であるが、年に一度の特別参拝が行われているとのこと。その前にある広場では家族連れが思い思いの時間を過ごしている。ああ平和だなあ・・・。

 そう思った矢先、突然「ゴオオオオ!」と耳をつんざくような轟音が後方で鳴り響いた。

 「何事?」振り返ると、数機の戦闘機が東南の上空を飛び回っている。そっか、ここから新田原基地の軍事演習が見えるんだなと思った。

 この古墳群には博物館もあり、メッセージ性のあるパネルが多数展示されている(観覧無料)。その内容がとても詩的だったので、人が進化しながら生活してきた過程を考証すれば、考古学も文学も切り離せないものなんだと思った。心に残ったのは「人はいつから人に武器を向けるようになったのだろう。」「歩く速度からしか見えない風景がある。」という内容の文。最初はシンプルに、食料を確保するために石を取り付けた槍や弓矢を創り出して狩猟に使っていたのに、進化とともに人間はいつしか戦争に勝つ手段を追い求め、あの戦闘機のように殺傷能力もスピードも昔の人が想像もつかない程のモノを創り出してしまった。そんな武器が人に向けられたら私たちはどうなってしまうのか?

 国を守るために行われている軍事訓練に対して私個人が簡単に非難できないが、その戦闘機が実戦に使われることなく、自由にあの大空で翼を広げて飛び回るのは、いつまでも鳥や旅客機であって欲しいと願う。 

都城合気道錬成会 都島道場小林教室担当 伊達